いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法より 

              

デビッド・D・バーンズ著:いやな気分よさようならを参考にしています

今私が嫌な気持ちでいるのには全部意味があるのですその意味を知るのと知らないのとでは

ぜんぜん気分の持ちようが違ってきます。

私なりに解釈を途中までしてみました、後はそのつど照らし合わせてみると良いと思います。

感情を抑制する
1 速やかな症状の改善 軽いうつ病なら短期間で症状がよくなる。
2 症状の理解 何故こんなに憂鬱なのかどうすればいいのかその答えを出してくれます。
「正常」と「異常」の区別をしてくれます。
自分の混乱がどの程度なのか(今まで釈然としなかったことが)はっきり分かります。
3 自己コントロール 心が混乱したとき安全で有効な対処法を学べる。
4 予防・成長 どうしてもうつな考え方に傾いてしまう性格を見直し、感情の動揺を予防する。
人間の価値基準を基本から再評価してみる。

    


自分の感情を理解する:考え方で暗くも明るくもなる

毎日起こる日常的なものさえ、そのときの感情によってまったく違ったものに見えます。

目に映ったものをどう感じるか、正確に物事を受け取ることが出来れば感情も動揺することも無いでしょう。

もしそのときの何かにより、あるいは物事を受け止める癖により

目に映ったものはとても嫌な暗い物に見えます。

物事を正確に理解する感情=「認知」が歪んでいれば

その物事に対する反応も異常なものになります。

いつも物事を歪んでみる癖が出来てしまったようです。

その歪んでみる癖が治ればうつ病も快方に向かうと思うのですが。


                                                                                                                                                 

認知のゆがみの定義
(1)白か黒か極端に分けようとすること
私はいつも思うのですがスポーツ番組を見ていると
優勝しないと価値が無いような扱い方をしているように見えます。

優勝すればすごい盛り上がりで選手たちの帰りを歓迎し
優勝できなければ何か悪いことをしたかのような扱い方です。
(これは私が感じたことです)

これが個人的なものになると、業績を上げることが出来ないと
「自分は会社にとって必要の無い人間なんだ」
と言うようにもう一生の結果が出てしまったような見方をしてしまいます。

私は常日頃から「絶対と言う言葉は無い」と思っています。
完璧な躾が出来なければ母親として失格だ。
子供にはいつも礼儀正しくさせるべきだ。

子供も良い迷惑ですこの世の中には
完璧な躾や母親などいないはずです
出産したときに始めて母親になるのですから
一年や二年で完璧な母親業は無理だと思います。

完璧な子供を理想化して生きていくのは
その時々で敗北を感じなければなりません。
日本には中庸と言うすばらしい言葉があります。
なんでも中くらいでちょうどいいのです。

(2)一般化のしすぎ
私は幼いころから両親の諍いが絶えずそのたびに私たち姉妹は
どちらかに引き取られなけれなりませんでした。

学校が変わるたびに、あるいは友達と遊んでいるときに
私は体が小さくて知能も他の同じ子供たちとは劣っていましたから
「どうして同じことが出来ないの」「○○ちゃんはあんなことも出来るのに
お前はどうして出来ないの!」
この劣等感の植え付けは社会人になっても続きました。

だから、私は他の人とは違うんだ。
他の人が幸せなことが出来ても私には出来ないんだ。
と思い続けていました。

子供をねじれた子に育てるのは簡単です
とにかく人と比較して劣等感を植え付ければいいのですから。

(3)心のフィルター
劣等感の植え付けもあって私はどこに就職しても「この子ちゃんとした仕事が出来るのかしら」
と思われていると勝手に自分で思い込み、

「どんな人よりも成績を伸ばそう、とにかく頑張らないと人並みに見てくれない」と、肩肘張って
体がぼろぼろになるまで仕事をし続けました。

接客業に携わっていましたから、本当は自分自身がゆとりを持たないと
余裕の無い人から接客を受けても心が休まない。

今頃そんなことに気がついております。
ですからつい、周りを見るときも「この人は本当は私のことを良く思ってないに違いない」
フィルターのついためがねで見てしまいます。

(4)マイナス化思考
                                                                       
そんな生活をしていると物事をマイナス化してしまいます。
「どんなに頑張ったって私には満足な仕事など出来ないんだ」
「どんなに良い業績を上げたとしても私には認めてくれないんだ」

悪いことがあるとそのことばかりに
神経が行ってそのときにやさしくしてくれた人や、かばってくれた人のことなど
目の中に入っていないのです。

何時もいつも良いことは人のことで悪いことは私のこと
そんな考え方で生きてきたものですから
思考の豊かさを失って寂しい生活を強いられております。

(5)結論の飛躍 

  
心の読みすぎ:せっかく親切にしてくれる人も何か見返りを求めていると思ったり
          ちょっとした言葉の行き違いで喧嘩になったり。
          悪いほう悪いほうにとっているのは私のほうだと分かっているのですが、
          人付き合いは面倒です。
先読みの誤り:こんなことの繰り返しで本当に私はどうなってしまうのだろう
         このままよくならずに国から面倒を見てもらって終わってしまうのではないだろうか
         こんな性格だから誰も助けてはくれない。いまのことを楽しめばいいのに
         物事を悪い方、負の考え方が癖になっている。

(6)拡大解釈と過小評価
やはり一人暮らしは寂しいものです
ちょっとしたことで娘と喧嘩になったときは、このまま面倒も見てくれないだろう
なんて思ってしまいます。

自分の良いところを見るようにしないと
今は、悪いところしか見てきていなかったので
良いところを見つけるのも苦労します。

(7)感情的決め付け
私は自分の体験を生かして精神的に疲れている人の助けになろうと
アロマセラピーの検定を取って出張したり自分の部屋の一室を開放して
仕事にしようとしたが経費だけが残って実現しなかった

いつもこんな風に思いついても途中で終わってしまう。
私は我慢をするとか物事をきちんと考える能力に欠けるのではないかと思う。
こういう感情を作り出す認知が正しいか常に気をつけていれば
感情的決めつけが生じることは無かったのに。

(8)すべき思考
私はひとりでもきちんとしなければならないと考えていた
普通の人よりも規則正しくしていないと
病気療養にはならないと思っていた。

そうして自分を追い詰めてしまって。
帰って疲れてしまい
楽しいことも楽しくなくなると言うことになってしまった。

(9)レッテル貼り     
今まで、エステティックでもっと本気になって仕事に打ち込まないと
売り上げが落ちていくばかりだと思って

わざわざ雇い主にその店に変わらせてもらって
自分なりにいろいろと工夫をしてみたが結果が出なかった
それどころか、そこの従業員と関係がまずくなって結果的には
仕事をやめる決断をしなければならなかった。

こうして私は周りの人間関係を壊してばかりであり物事を成就したことが無い。
そういう人間なんだと自分にレッテルを貼っていた。

そして、そこの従業員はぬるま湯の中で何年も働きに見合わないお給料をもらい
自分をそして店を高めようとはしなかった。

私はそう思ってその店に乗り込んでいったのだからうまくいくわけが無かった。
もっとフレンドリーに出来ていればあるいはと思うが
もう済んだことだし、思い出したくも無い。

(10)個人化
結局私は周りにいる誰一人健康で幸せにしてあげることが出来なかった
私は私の周りにいる人は健康で幸せになるように勤めてきたのだけれど

それは個人個人が考えることで私が手を出すことではなかった。
健康な食事をするのも、タバコをやめるのも、お酒をやめるのも
その人が考え、結論を出すことであった。

それを躍起になってその人をひどい言葉で傷つけてしまった。

気分や感情は事実ではない
同じことを体験して何故私だけが歪んだものの見方しか出来ないのか
それよりも私は「あの人はあんなことがあったのにすぐに忘れてしまう、感情が冷たいのだ」
そう思っていた。
感情と事実は別物で
感情だけが私と言う人物を作り上げたまるで
土を練って窯で焼き、人形を作るように。
そのことで認知が間違っていなければ綺麗な鏡のように見えるけど
ねじれた認知であれば鏡の迷路のようです。

認知的なゆがみでうつ病に陥ったら
悪循環により
ますます気分も行動も落ち込んでいく。
目に移るものが悲観的に見えているのなら
脳も憂鬱に感じてしまう
そして歪んだ考え方が身についてしまう
この歪んだ考え方は瞬間に全身を虜にしてしまう。

そして長年の癖によりまるでそれが真実のように
人にも語ってしまうのです。

もうそろそろこの考え方から逃れたくなった
どうすればいいのだろうか

気分が憂鬱で物の見方が歪んでいても
私自身の考え方が純粋であればこの間違った認知から
逃れられるでしょう。


自己評価を確立することからはじめよう




無価値だと言う気持ちを克服する

専門家やセラピストにより気分が良くなったとしても

自分自身や人生に対する評価を大きく変えなければ

よくなったという言う感じも一時的なものに過ぎないでしょう。

自己破滅的な考え方や行動パターンを実質上変えなければまたすぐに戻ってしまうでしょう。

自分の感情を表に出すと言うだけでは価値が無いという気持ちを克服するのに十分ではありません

周りの人たとえばお母さんが完璧を強いられたとしても結果はそのお母さんを喜ばすことにはならない

自分自身が全てを見るのをやめればよいことで完ぺき主義にならなければ良いことです。

自分自身の考え方や感じ方やり方に速やかで決定的な変化をもたらすことです。



自己評価を確立するための特別な方法
1 内面の批判的な声に反発すること!
価値が無いという気持ちは
自分自身の批判的な声から聞こえる
自己を卑下する言葉が浮かんだり、
絶望的な感情を作り出したり
自尊心を傷つけてしまうときは
克服するために三つの段階を踏む
自己批判的な考えが浮かぶとき、詳細に記録する。
このような考えが、何故歪んでいるか学ぶこと。
合理的な自己批判システムが出来るように、このような声に
実際に反発すること

この段階は紙に書くこと書き方があるので
専門家カウンセラーか主治医に見てもらうこと

2精神のバイオフィードパック

カウンターを持って悲観的な考えや卑屈な思考が

頭に浮かんだときカウンターに入れていく

その日の寝る前にカウンターの数字を書き留める

最初のうちは自分のダメなことがたくさん浮かんで書くことが多すぎるくらいだけど

だんだん書くことがなくなってしまう、そのころにはよくなってきていることを感じる。


3 しょげないで、乗り越えること
高揚した気分や幸せな気分が、自分の価値の目安になるか?
それともそれらは単に今良い気分であると言う意味合いだけなのか
気分は自分自身の価値を決定するものではない
どうしたら自己評価を高めることが出来るか
批判的な内なる声を消し去ること
価値が無いということは真実に基づいていなくてうつ病の膿のようなもの
落ち込んだときに覚えておく三つのステップ

1 自動的なネガティブ思考に照準を合わせてあわせて、
書き込む頭で考えないで紙に書き込むこと
2 認知のゆがみの表に目を通すこと
バランスを失っている物事をどう扱うかを正確に学ぶこと
3 客観的な考えに置き換えること。
そうすれば自分を卑下するような考えが誤りであることが分かり
だんだんと気分が良くなる。


落ち込んだときは自動的なネガティブ思考に照準を合わせて、それらを書き出す
(頭の中でいじらないで必ず紙の上にすること)
認知のゆがみの表に目を通すこと。バランスを失っている物事をどう扱うか
正確に学ぶこと
もっと客観的な考えに置き換えること。そうすれば、自分を卑下するような考えが謝りだと分かり
だんだんと気分もよくなるでしょう。


虚無主義を克服する
1 絶望 落ち込んでいるときはこの先の可能性のことも忘れてしまっています
どんなかつどうも、無意味に見えて「気力を持て」と言われても自分は黄泉の国にいるような
錯覚さえ覚えます
2 無気力 気力は自分でコントロールできるものではありません。
運命、ホルモン、サイクル、幸運、他者の評価によって決定されるので気分を代えるなんて事は
出来ないのです。
3 圧倒されること 処理できないほど仕事を広げてしまう。一度に何もかも自分でやら無くてはならないと考えたり。
まだ起きてないことに悩んで目の前の仕事から目をそらしてしまう。
4 レッテル張り 先に延ばすことでますます自分を責めてしまい、自信がなくなってしまう
自分に「怠け者」と言うレッテルを貼ることでこういった問題が出てくる。
原因は、「本物の自分」がすべき行動を何も出来ないと自分で思い込むことにある。
結果として何一つ自分に何も出来ないと思い込み、自分に期待しなくなってしまう。
5 早合点 いつも「できない」「でも、、、」と言う癖がついているので
自分には納得のいく結果が出るような行動は何一つ出来ないと思い込んでいる。
6 報酬を安く見積もって
しまうこと
落ち込んでいるときはどんなに良い仕事が回ってきても一歩が踏み出せない
そして、報酬が払った努力に価値が無いように思える。
考え違いや「良い点を無視する傾向」から来ています。今考え違いが何であるか
満足感が得られないのは、いつも自分の成果を疑うことによるのです。
「何かいいこと無いかな」どんな充実感も何時までたっても感じることはありません。
7 完全主義 自分の作ったゴールや基準が間違っていていつも自分を追い詰め、苦しんでいる。
そして結局何もしなくなってしまう。
9 失敗への恐れ 失敗への恐怖で努力してうまくいかないと、人格まで否定されると思い込んでいるので
挑戦するのが嫌になってしまうのです間違った考え方でこの恐怖をあおり
一般化のし過ぎをします。「この仕事も満足に出来なかったらどんな仕事も出来ないだろうと
努力にもかかわらずにその成果を独断的に打ち負かされたときの恐怖が生じてしまう
これは非合理で、プロセス思考より結果指南を示すものです。
10 非難や批判の恐れ 何か新しいことをすると批判されたり受け入れてくれないに違いないと思う。
周りの人を敬遠するあまりに物事を小さく、努力をしようとしない。
11 プレッシャーと反発 やる気の最大の敵プレッシャー、自分でも感じるし、周囲からのプレッシャーもあります
「〜をしなければならない」「〜するべきだ」とても塀の高いものに見えてしまい
やる気も起こらなくなり、自分にも怠け者のレッテルを張り、良心がとがめます。
12 フラストレーション
許容力の低下
これなら大丈夫!簡単に短い時間で終わるわ。と思っていても途中で障害物があると
怒りが体を包んでしまいます。
物事がうまくいかないと結局なんでもあきらめてしまうのです
13 罪と自責の念 今、私は自分が大嫌いです
せっかく体に良いメニューを考えて作ってくれる人がいても
食べ終わると、甘い菓子パンや、ホットケーキを焼いて食べるのです
それもたくさん!
どうやってこの自堕落な私を修正して行ったらいいのでしょうか。
このままこうやってパソコンの前に座っていても解決策は出てきません。
動かしましょう体を「どうやって?」
日常活動スケジュール スケジュールを立てると言うことは簡単で、だらだらと食べている自分を
打ち破る方法です
まず予定欄にその日やろうとする書き込みます。
たとえ計画通りに出来なくても毎日何かをやろうと考えることに意義があるのです。
忙しいサラリーマンじゃあないんだから
一言二言ご飯の準備、片付け、と書き込んでいきます
そして一日の終わりに
本当に何をしたか欄を埋めるのです。
各時間ごとに本当は何をしたかを書くのです。
楽しかったことにはハートのマーク
悲しかったことは涙のマーク
腹が立ったことには☆印
このスケジュールの効果は悩む時間を無くすこと
何個かやり遂げれば満足感が出て
もう、自分の価値観などと考えなくなるでしょう。
それでは早速パソコンのスケジュール帳に書き込むことにします。





ぐずぐず主義を克服する方法

押入れの生理整頓、冬物の整理もそのままになっています

やってしまえばそんなに時間はかからないのは分かっているのに

なかなか手が出ません。

これも克服シートを作ると面白いものが出てくるかもしれません。

捨てる予想と、取っておくシートはなかなか時間がかかりそうです。

本の中にぐずぐず主義克服シート、というものがあります。



歪んだ考えの日常記録

☆今の問題が何であるか分からないとき☆

心に浮かんだ考えを単純に書きとめます。


☆今の考えが現実的でないこと

適切な合理的な反応を書き留める

第一歩を踏み出すとき強い力添えになります。

やり始めるときの糸口となりどんどん解けていけます。


何もする気が無くて

寝たり起きたりするときは

何かをしたい、楽しいことをしたい、と思いながら

きっかけもつかめず、一人でいても楽しくないし

と思い、そんな否定的な思いをする自分に嫌になってしまっていました。

日常記録に従い自分の考えに反論していくと少しずつ明るい光が見え出して

シャワーを浴びて気分が良くなってきたのです。


本文には説明に添って記録していく

雛形のようなものがあります。

この本文のとおりまずは書いてみるのも

いいかもしれません、最初はばかばかしくても

後で明るい顔をしたあなたに出会えると思います。

 


満足ー予想表

私は一人暮らしです

助けてくれる人は誰もいません。

ヘルパーさんも決まった時間にしか来てくれません。

私が楽しみに使うお金なんて一円も残りません。


<解決法>

図に描いて思い込みをテストしてみます。

一週間以上の期間個人的な成長や満足の含むような

行動を計画してみます。

そして、どれくらい出来たかを0から100までの範囲で示します。

そしてどの程度楽しめたか実際の感情を書いてみます。

どんなに考えたとしても

悪いほうにも良いほうにも影響を与えることが出来るのは

私自身だということ。

世界中に私自身を出来るのは唯一私自身です。
どこで何をしようが自分を尊重する限り他人の意見に
真剣に耳を傾けなくても良いのです。


「しかし」を、どう打ち破るか

何かやる気になったときに出足をくじく

「しかし」、「でも」

という大きな障害

「たまには出かけてみようかしら」

1.今日は疲れているみたいだし

2.大体私は外出が嫌いだし

3.外に出たとしてもいいことがあるわけでも無いし

本文にしかしの図があります




自分を認める方法

自分の価値を低いものに見ていないか

この悪い癖が私の不機嫌な態度がわたしのよろこびをうばいとってしまうので、

人生がまったくむなしく思えて何もする動機がなくなるのは当然です

この破壊的な見方を変えるためにまず必要なのは、

まず自分を卑下する考えを正確に見極めることです。

この考えに答えてもっと目的にかなった自分に置き換えることです。

一旦そのコツをつかんだらどんなにつまらないことでも自分を認めるよう意識してやってみるのです。

数日もすると気分が変わってきます。

チックータック法

仕事になかなか落ち着いて取り掛かれないとき
「仕事を妨害する認知」
「仕事を方向付ける認知」
に置き換えることが出来れば
エネルギーを奪ってしまう認知の誤りもへって来ます。

本文図5−8に例を示します。
そのときは私自身を落ち込ませている認知のゆがみを
必ず指摘するようにする。

仕事を避けるときはその中に自動的に
ネガティブなイメージを作っているでしょう。

このイメージは不必要な緊張や不安を生み出し、
恐れていたことが
現実になるのではないかという予感を高めます。

ミスするのではないかと緊張のあまりに
本当にミスをしてしまうのです。

解決法
毎日寝る前に十分間自分が
流暢に仕事をしているところを
空想します。

自信を持って仕事をこなし、
同僚もびっくりするような仕事振りです。
この練習によってこれからやることが
前向きに感じられる効果があることが分かります。

予感や気分が現実に起こることへ深く影響するのは
疑いありません。




一歩ずつ成長へ

未完成の仕事から離れる勇気を持つ
簡単で確実な自己成長法で、
仕事を小さな部分に分解していく方法があります。

以前なら簡単に出来ていた作業も今は体力が無いばかりに
なかなか出来ないときが多いので、その汚い部分を見たりすると
情け無いやら腹が立つやらでいらいらしていましたが

私は知らず知らずの間にこの方法を身につけていました。
二時間パソコンをしたら床掃除

二時間パソコンをしたらご飯を作る
と、分割にしていました。

今はそれに休む時間を入れています。
一時間パソコンをしたら掃除

一時間パソコンをしたら寝る。

一時間パソコンをしたらご飯つくり。

一時間パソコンをしたら寝る。

今までのように、
「掃除が出来ていないうちはご飯を食べない」

では無くて、時間の割り振りを緩やかにしてみました

本文の中に
「自分自身を信用して無いから、
自分にとって意味のあるゴールを目指していないのが
うつ状態の原因だ

と指摘し、危険を冒して自分のゴールを自覚し、
問題に立ち向かう代わりに
夫を責め、
まだやり終えていない家事の不平を
言っているだけだったのです。」とあります。

作業の中の一部を自分のために使う事で
憂鬱な症状はかるくなるでしょう。

この後何回再発に苦しもうと、
周囲の人に憂鬱な影響を受けようと
そのときはそのときで同じ解決方法をやってみます。

大切なのは「私自身が自分で自分にとって
楽になる方法を見つけた、
と言う事です。




強制を伴わない動機付け

ぐずぐず主義の元は自己の動機付けにあります。やる気を奪ってしまう
「〜ねばならない」「〜すべきだ」
と言う言葉で自分を追い込んでしまって
本当にしなければならない事に目をそらしてしまう。

私の言葉の中から強制的な言葉を追い出そう。
そしてその物事を違う見方で見てみよう

自分の好きな事をしているうちに気分が良くなって
進んでそれを取り組んで無理にではなく
自分でも充実してやり終える事が出来る。

「〜をするべきだ」を「〜をしたい」に、置き換えれば
自分を大切にしながら治療していく事が出来る。

その事により選択の自由と自身を持つ事が出来る
自分へのご褒美は叱咤よりも有効で長続きする。

私は何をしたいのだろうか?
どうすれば一番納得のいく日を送る事が出来る

こうやって少しずつ動機付けを高めていくと思われる。

成功をありありと思い浮かべる

やりたいけど中々手が出ないとき
その行動のメリットを表にしてみる。

物事のポジティブな成り行きを見る訓練になる。



第一のステップ

過食をやめたときのポジティブな結果を表にする。




1.体重が減って身軽になる。

2.今ある服が着る事が出来るので経済的である。

3.おしゃれに関心が出る。

4.外に出る勇気が出る。




第二ステップ

寝る前に毎晩、一番お気に入りの状況を想像する。

出来るだけ生き生きと思い浮かべてリラックスする。

体中の力を抜いて筋肉を弛緩させます。

第三ステップ

その光景に私がいて過食もなくなっていると想像する。

表を見て一つ一つを繰り返す

「今、私は健康で肌もきれいになり、とても身軽だ。                        

今ある服を思い切り綺麗にコーディネートして着てみよう

映画に出てくる婦人のようになんて素敵で気持ちがいいのかしら。

今ならできるわ、何でもできる!

自分が出来ると信じる事が出来れば難しい事なんて無いのよ」


         



私は幼いころ
母が何につけても支持していた。

私の考えや言いたい事など通らず
何をするにも母が出てきた。

二十歳を過ぎて就職するにも
母は出てきて、
「ほら!従業員の人を見なさい!
あんたにこんなところで勤められるわけがないやろ!!」

何時までたっても私は自身をもてなかった。

自信のもてない私が
なににでも好奇心を持ち、直感で何かを始めるようになるまでには
かなりの年数がかかった。


罪悪感と良心の呵責

良心の呵責や後悔は:
その行為に対して素直にそれを気がつくように起こってしまう

罪悪感は:自分自身を批判し、不安・恥・憂鬱
を併せ持って認識している事。

失敗した自分を大げさに捕らえて自分を痛めつけることは
不必要な事。

罪悪感を引き起こす「歪み」
自分の行為を「悪い人間だ」「社会には不必要な人間だ」
など自分でレッテルを貼ってしまうこと。

自分が原因ではない事に責任を感じる歪み
私が相手のためを思って言った言葉に相手が不機嫌になるとき

本当に動揺させたのは私が言った言葉ではなく
その人本人が持っている独特の考えかたから来ているもので
私は相手の反応に責任を取る必要はない。


認知の歪みの概念の重要性

人の感情は、歪んだ考えのために動揺しているのなら
その苦しみはその人に責任があると言う事。

その人のために私が自分を責めるは、「個人化」の誤り

私の完全主義的な「すべき事」は、
生きていくルールも含めて、無理な期待や
融通の無さを生み、私自身を苦しめる。

「私を幸せにするべきだ(現にそう言った)」
このルールは私がいやな気分になるたびに敗北感に苛み
永続する幸せなど存在しないという事を嫌というほど味わっていながら
この思考に呪縛され
このルールは自己破壊的であり責任が取れないもの

「〜するべき思考」
「〜でないといけない」という思考は

誰にでも押し付けるべきものではないのだから
不適当な罪悪感である。

過去の罪・不道徳な事に捕りつかれて
毎日を罪悪感で憂鬱になる事は
自分自身に言い聞かせてきた
強さ・期間・結果においても不適当な事で

今、生きるこの時を盲目にさせて
実際に行動した罪よりも遥かにかけ離れた自己評価を生んでしまった。



悲しみとうつ病

悲しみは普通の感情
嫌な体験から起こる自然な認知

うつ病は病気
いつも歪んだ考え方になる

喪失体験

悲しみは歪んだ考えではなくて
感情の流れであり
ときともに流れ去っていきます。

うつ病は自分の大切なものを失ったショックにより
自分を失い自分が哀れで
どうしようもない事と考えてしまう。
そのまま悲しみが留まってしまい
自己評価を下げてしまう。

自分の大切なもの、人がなくなってしまう事により起こる
「反応性うつ病」

ストレスがはっきりしなくて自分でも分からない時
「内因性うつ病」

いずれも歪んだ好ましくない考え方。

私の悩みの実質は私の考え方の歪みによって
引き起こされる
この歪んだ考え方を修正すれば
「現実的な問題」
に直面しても苦しむ事が少なくなる

死を直面した人がうつ病になるのは
当たり前だとする考え方
その人のうつ病は回復が早い
その人は勇気があり
自分自身を悲劇の主人公にはしない
自分の事は自分で解決しようと考える。

最も悲しい思いをしている人は
うつ病が避けがたいと言う考え方は

非人間的であるということ。

私自身にどんな事が起ころうが
私自身の価値には変わりは無い
どんな不幸に見舞われても
私自身の価値は確立している。