うつ病の原因

冬の港は霧が立ち、帰りの船を寒さで包む

着岸すると命綱を投げて船に飛び移り

船をつなぐ、市場に出す魚をパックにつめてシートで覆う

ごみの山のような中から

商品になるような魚を選りだす。

家にもって帰る魚を持ち帰り、つまみを作る

夫は風呂からあがると、水揚げした魚で焼酎を飲む。


漁から帰って暴れることはあまり無かったが

漁師仲間の会合や、土地の行事、祭り、親戚付き合い

何もかもが酒がついて回る

そういった行事のときはたいていが私も手伝いに借り出される。

酒席の中では楽しく飲んでいたのだが

帰ると何かと因縁をつけてきて暴れだす。

お膳のものを振り払い、食器やポットを破壊して

食べていたものは壁や天井にこびりつく

そして暴れだす、

殴る、蹴る、暴言、きっかけは何でも良かった

ただ、鬱憤を晴らしたかったのだろう。

就職をしたものの辞めて漁に出だした長男が

一緒になって暴れだすときもある。

それをとめるのが一番体力がいる。

月々決まっている行事が近づくと緊張する。

鼓動が激しくなりイライラしてくる。

その日はなるべく早くに布団に入り寝たふりをする。

夫たちが帰ってくると鼓動は激しくなり緊張感が高まる。

酔って帰ってきた二人が寝静まるまでは落ち着いて寝るどころではない。

地域で毎年ある行事から帰った長男が暴れて

車をぼこぼこに蹴り、家のガラスを割った

夫は酔って寝ており、何の頼りにもならない

とめに入った長女の顔面を殴りつける

私も一生懸命止めて

次女が親戚の人を呼びにいき、長男を病院に連れて行く。

縫合して入院することになる。

とりあえず私たちは帰ることになるのだが

最後の私への言葉が「テレビを見るからお金を置いていって」だった。

家に帰り着き長女の顔を見ると腫れ上がっていた。

とにかく冷やすようにして。

私はそのまま着の身着のままで

うちを出た。

それ以来ぜんぜん帰ってない

家庭裁判所に間に入ってもらい離婚をした。

一人になっても安堵はしていられない

食べていかなければならないのだから。

身寄りのものは妹だが遠方にとついでいて

世話をかけるのも気が引けて

旅館の仲居でとりあえず働いて

その間に次女が結婚をしたけれど

出席できるわけも無く

前撮りのとき一緒に行くことを許してくれた。

とてもうれしかった。

今は、体を悪くして、生活保護のお世話になっている。

このまま、終わらせるのももったいない

せっかく一人の時間を使えるようになったのだから

ホームページを作って一人でも多くの人に

アルコール依存症のことを理解してもらいたい。

私の経験が一人でもそのまた一人と

アロマセラピーを使ってうつ病の理解と

アルコール依存症の理解を

広めていくのが
わたしの目標でもあり、夢である。